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選挙戦最終日街頭演説会

選挙戦最終日の本日14時に、松山市駅前坊っちゃん広場にて、以下のように最後の訴えをさせていただきました。ぜひ一読、そして皆さんに広めていただけましたら嬉しいです。
最後の最後まで走り抜きます。どうぞよろしくお願いいたします!

ちょうど4ヶ月前の今日、私は19年間勤めてきた弁護士事務所を辞め、松山へ戻ってまいりました。
私はなぜ戻ってきたか。祖父の遺言に政治家になれと書いてあったから……、そういうわけではありません。子どものころから政治家になるのが夢だったから……、でもありません。
この思い出の地に戻ってきたのは、私たちの子どもたちの将来とこのふるさとの未来に、大きな危機感を持ったからです。

私には中二と小六の息子がいます。彼らが大人になるとき、このふるさとでやりがいのある仕事の場を、私たちは残してあげることができるだろうか。彼らが歳を重ねたとき、医療や介護、年金のしくみを、私たちは引き継いでやることができるだろうか。大地震や温暖化による集中豪雨、大きな自然災害への備えをしてあげられるかどうか。
幸せそうに眠る息子たちの寝顔を見るたびに、私は心配でたまらなくなります。

さらにこのコロナ禍で、私たちの暮らしは一変しました。誰もが大切な人に会えない時間を過ごしてきました。子どもたちが学校に行けない時間を過ごしてきました。地域の公民館も閉まってしまい、近所の方とも会えない時間を過ごしてきました。
そうしたことのすべてを、なんとかしたい。そんな思いで、松山へ戻ってからのこの4ヶ月を過ごしてきました。

毎日毎日、この町の隅から隅までを、まわらせていただきました。皆さんがいろんなところで手をふってくださいました。話をお聞きしたいというと、皆さんがそれぞれの地域の集会所に集まってくださいました。ありがとうございます。
潮風の爽やかな興居島の方々にも、お会いしました。明日稲刈りだという田んぼの脇の空き地に、大勢の方が来てくださったこともありました。
星空のきれいな夜の駐車場に、幼い子どもを連れて来てくれたお母さんたちがいました。杖をつきながら、重い病をおして来てくれたおばあちゃんがいました。ちょっと離れたところから、恥ずかしそうに見てくれた学生たちがいました。ニコニコしながら見守ってくれた友人たちもいてくれました。

みなさんが暮らしの手を止めて、お話を聞かせてくださった理由はなんだろう。そういつも考えていました。それは決して私のためというばかりでない、皆さんが来てくださったのは、皆さんも私と同じように、このふるさとの将来に大きな危機感を持っておられるからでしょう。そして皆さんも私も、未来は変えられるものだと信じているからでしょう。

ただ、これから先の道のりは簡単ではありません。まずはコロナを乗り越えることだけを考えても、生易しいことではありません。世界の感染状況を見れば、またプラスに向かっている地域もあるので気を抜けません。
私たちはこのコロナ禍をバネにして、変われるのかどうか。いままでのやり方を変える、そのことが簡単でないのは、誰もがよく知っているはずです。
いいアイデアがきちんと反映されず、いつの間にかなかったことになってしまうのを、私たちは何度も見ています。多くの小さい声が、すこしの数の大きな声にかき消されるのを、私たちは何度も見ています。世間の関心がなくなった瞬間に官僚の手で法案が骨抜きになるのも見てきましたし、成功するメリットよりも失敗するリスクを恐れて日本が世界の後塵を拝するのを、私たちは繰り返し見てきました。

ここで、これまでのやり方を変えないといけません。私たちはいま、歴史的な転換点に立っているのです。
私は危機感を持っていると言いましたが、悲観はしていません。なぜなら私たちは、何度も大きな危機を乗り越えてきたからです。
先の大戦で地べたに叩きつけられて、それでも先人たちは歯を食いしばって世界に冠たる経済大国を築き上げました。深い心の傷を負いながらも、一つひとつ世の中の歪みを直していき、世界で最も暮らしやすい日本という国をつくってきました。
近年に途方もない地震や津波に襲われ、原発事故が起きたのちも、力を合わせて復興の道を進み続けています。
このコロナ禍も、私たちの底力を発揮すれば、必ず乗り越えられるはずです。

この四ヶ月間、お話を聞いてまわったなかで、新しい希望の芽もたくさん感じ取ることができました。
離島で後継者不足に悩む農家の現状を見て、AIを使った新しい「スマート農業」を提案し、若い人も農業に関心を持つよう挑戦している仲間がいます。
三津浜の商店街に人を呼び戻そうと、神社が主催してハロウィンパーティーをするなどの新しいアイデアをたくさん出して、盛り上げようとしている仲間がいます。
働きながら子育てできるよう、家事支援サービスを始めようという保育士さんたちがいます。
もっと多様でもっと生きやすい時代にするため、逆境にも負けずいろんなことに挑戦している仲間たちがいます。私ひとりでは何も変えることはできませんが、そういう仲間たちがいれば、新しい扉を開いていくことはできるはずです。

19年間弁護士をやって私が学んだことは、強い意志があればピンチはチャンスに変えられるということ。そして危機感こそが、変化への最大の原動力になるということです。
コロナ禍で危機感が高まっているいまこそ、まさに変革が必要な時ではないでしょうか。

皆さんのお力を貸してください。お力を貸していただいて、新しい時代の扉を開きたいと思っています。
私たちが越えなければいけないのは、野党の壁ではありません。私たちが闘わなければいけないのは、無関心の壁です。
いまも有権者のふたりにひとり、若者の3分の2は投票に行きません。この無関心の壁を乗り越え現状を変えるために、私に力を貸してください。

コロナ禍を乗り越えるため、皆さんの力を貸してください。
この地域の経済を成長させていくために、皆さんの力を貸してください。
子どもたちが安心して暮らせる社会のインフラを残すために、皆さんの力を貸してください。
皆さんのお力があれば、私はこの2021年を、後世の子どもたちが「日本が変わった年」と振り返ってくれる年にできると信じています。

皆さんのお力があれば、必ずや時代の扉はひらけると信じています。
お力を貸してください。一緒に時代の扉を開くために、お力を貸してください。
皆さんのお力で、乗り越えていきましょう。そして危機に強い日本を、成長し続ける日本を、子どもたちが未来へ夢を持って向かえる日本を、いっしょに築いていきましょう。
塩崎あきひさに、どうぞお力を貸してください。どうもありがとうございました。

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