PROFILE

プロフィール

塩崎彰久のプロフィール

塩崎 彰久(しおざき あきひさ)

1976年9月9日生。
松山市立道後小学校、愛光中学・高校を経て、東京大学法学部を卒業。
長島・大野・常松法律事務所のパートナー弁護士(共同経営者)として多くの危機事案の解決に携わるほか、民間の立場から福島原発事故や新型コロナの独立検証などを行う。
06〜07年官房長官秘書官。
08〜10年ペンシルバニア大学ウォートン校に留学、学生自治会長を務めMBA取得。
本人と長男(中2)は日本、海外赴任中の妻と次男(小6)は米国、というリモート家族にチャレンジ中。
趣味はテニス、茶道、インスタ俳句など。

HISTORY

  • 幼少期

    幼少期の旅行写真

    厳しくもつねに自主性を重んじてくれた両親。幼いころはよく家族4人で旅行へ。

    幼少期、おじいちゃん、おばあちゃんと

    道後小学校の運動会。忙しい両親をサポートして私と弟をいつも温かく見守ってくれた、おじいちゃん、おばあちゃん。

    1976年9月9日生まれ。父の転勤や留学にともなって、下関・東京・ボストンと、数年おきに環境が変わる生活を経て、松山へ引っ越し、道後小学校に入学。放課後は石手の山で基地を作り、夏は島で泳いで釣りをして、愛媛の大自然を目一杯満喫。

    弟と一緒に武道館に通ったが、剣道の腕前はなかなか上達せず、初段の試験に何度もチャレンジしてやっと合格。励まし続けてくれたかけがえのない仲間たちに感謝。

  • 中学校・高校時代

    中学校・高校時代

    試合前の減量は本当に苦しかったけど、一緒に耐えた仲間たちと深く繋がるきっかけに!

    愛光中学・高校へ進学。衣山のきつい坂道を自転車で毎日登り、部活のテニスに明け暮れる日々。高校2年で1年間アメリカのコロラド州に留学。アジア人は皆無の白人社会に溶け込むのに最初苦労したが、テニス、レスリング、水泳、コーラスと積極的に課外活動に参加して仲間が増えていった。クリントン大統領をはじめ、多くの法律家がアメリカ社会で幅広く活躍する姿に感銘を受ける。

  • 大学・大学院時代

    大学・大学院時代

    携帯電話がない時代、公衆電話からテニスのペアの申し入れたのがきっかけに。

    東京大学法学部に進学。テニスサークルで初めてミックスダブルスのパートナーを組んだのが妻、実佐子。人々の役に立ちたい、との思いで司法試験に挑戦をすることを決意。間違いなく私の人生で一番勉強した日々を経て。何とか合格。

    大学卒業後、スタンフォード大学の国際政策の修士課程に進学。シリコンバレーのど真ん中でインターネットが世界の景色を変えていく様子を目の当たりにし、テクノロジーによる社会変革の胎動を体感。世界中から集まった留学生たちと昼夜問わず様々な議論に明け暮れ、貴重な学びと今につながるたくさんの出会いに恵まれた。

  • 社会人時代(前半:2002年〜2007年)

    社会人時代(前半:2002年〜2007年)

    仲間と共に築地市場等からの暴力団排除に取り組む。

    2002年に日本最大手の長島・大野・常松法律事務所に入所。最初の数年は日本企業を代理して、外国企業との取引交渉やベンチャー企業の支援などに取り組む。同時に、弁護士会の民暴委員会に入り、暴力団対策活動に関わるようになり、裏社会が牛耳るみかじめ料の根絶や暴力団事務所の明け渡し案件なども担当した。

    2006年、第一次安倍政権で父・恭久の官房長官就任に伴い、急遽秘書官を務めることに。一日2回の会見対応に加え、公務員制度改革や年金記録問題の解決など重要な政策課題の対応に奔走する父を支え、毎日、試行錯誤を重ねる中で、一つ一つの政治判断の難しさと重さと政治の厳しさを胸に深く刻む。

  • MBA留学時代

    MBA留学時代

    一人一人の声を、とにかく丁寧に聞き取ることを心掛けたウォートンの2年間。

    再び弁護士事務所に戻り、弁護士活動を続ける。2008年に米国ペンシルベニア大学ウォートン校の経営修士課程(MBA)に留学。学生の声をもっと学校運営に反映させたいとの思いから、自治会長選挙に立候補し、投票により選出され、日本人初の大学自治会長として、主要MBA校の自治会ネットワークの創設や、学生の声を授業に素早く反映できる仕組みづくりなどに取り組んだ。リーマンショックの傷跡癒えぬ社会へ飛び立っていく多くの仲間たちへ、卒業式でのスピーチでエールを送る。

  • 社会人時代(後半:2010年〜2021年)

    社会人時代(後半:2010年〜2021年)

    日本記者クラブにて共同主査として新型コロナ対応民間臨時調査会の報告書を発表。危機の時にこそ、その組織・人の真価が問われる。

    留学を契機に、官邸時代の教訓や反省を糧として、様々なトラブル解決などの「危機管理」を専門とする弁護士として歩んでいくことを決意。突然解職された上場会社の元社長とともに巨額不正会計問題を告発したり、自動車部品の世界的リコール案件では外国当局との厳しい交渉に臨んだりした。福島原発事故、また、新型コロナ禍といった国の大きな危機の際には、弁護士として民間の立場から検証報告書を発表し、政治の抱える様々な課題について、より明確な問題意識を抱くように。

    社会人時代(後半:2010年〜2021年)

    毎朝長男にパパ手作りのお弁当。得意料理は出汁巻き卵。

    2019年末に妻が突然のサンフランシスコ転勤。話し合いの結果、次男は妻と一緒に米国へ渡り、長男は私と東京に残ることに。毎朝の長男のお弁当作りをはじめ、慣れない家事に試行錯誤しながらも、時差が許す範囲で日米でビデオ会議でつながる「リモート家族」生活を開始する。

  • 現在(2021年〜)

    現在(2021年〜)

    自民党本部にて公募選定結果の了承を受けた7月20日、松山に戻る機内から。

    2021年6月30日付で法律事務所のパートナー(共同経営者)を辞任。長年支えてくれた法律事務所の素晴らしい仲間へ心からの感謝を捧げ、政治の世界へ、挑戦を決める。