BLOG

ブログ

世界一幸せな国フィンランドの地上と地下

単にニコニコしているということではない

「幸福度世界一の国というのは単にニコニコしているということではありません。男性も女性も若きもお年寄りも、全ての国民がトラスト(信頼)で結びつき全員参加で社会課題解決に力を合わせていく国づくりに取り組んでいます。」

画像
日本とフィンランドには多くの共通点があるとマリン首相。

大理石づくりの美しい議事堂の奥で、我々視察団を迎えてくれたフィンランドのサンナ・マリン首相。27歳で市議会議員に当選してからわずか7年で国家指導者となった若き女性宰相の強い眼差しと太い声量には、パンデミックやウクライナ侵攻などの困難を乗り越えてきた自負と覚悟が滲みます。議会中のこの日も細身のジーンズにロングブーツというカジュアルな格好で登場。飾らないスタイルが若い世代(特に女性)から高い支持率を得ているのも頷けます。

通常国会が始まる前のこの時期に、中曽根康隆代議士を団長に、自民党の若手議員4名と党関係者で海外視察にフィンランド訪問を企画。日本よりも少ない人口と狭い国土でありながら、高い一人当たりGDPを生み出し、2018年以来5年連続で国連の世界幸福度ランキング首位を達成している同国の取り組みから、日本の将来へのヒントを模索します。

女性活躍を支える手厚い人への投資

フィンランドは世界で初めて全ての女性に参政権を認めた国。現在も国会議員200名のうち91名を女性が占めるなど、同国の政治経済における女性活躍は世界的にも有名です。「女性が男性と割合的にも同等に政治参加するということはとても大事。多様な意見が政治に届き、全ての人のための社会を築くことができるようになる」とマリン首相は語ります。日本の女性政治家の少なさを以前から不思議に思っていたようで「視察もしてもらった手厚いデイケア(幼児保育)がフィンランドでは女性活躍への大きな役割を果たした」と日本へのアドバイスも。

画像
アルファベットを学びながらリズム感を鍛えるオンライン教材など、創意工夫が凝らされた教育プログラム。

首相との面会前日に訪問した幼児保育の現場では、政府の本気度が伝わってきます。3歳児未満は3人に1人、3歳児以上は7人に1人の先生が配置。日本では考えられない手厚い人員体制です。少人数クラスだからこそ、「Play to Learn(遊んで学ぶ)」の体験型プログラムを中心に、先生たちが創意工夫を凝らし、IT教材などを駆使しながら子どもたちに丁寧に向き合うことができます。日本では一部の高級私立幼稚園でしか受けられないような贅沢な幼児教育が、こうして一律無償で誰にでも提供されているのがフィンランド流。「私も大統領も娘を公立のデイケアに通わせているわ」とマリン首相も利用者の一人として胸を張ります。

「人口が少ないフィンランドにとって最も大事な資源は人材」と言い切るアンデルソン教育大臣。GDPの3.7%を教育関係予算に投入し、最近は幼児教育の充実や義務教育の18歳までの延長などに取り組むなど、「人への投資」を明確に国家戦略として位置付けています。課題はないのか問うと、実はフィンランドでも日本と同様に教員志望者の減少が懸案となっているそうで、給与の低さや負担の重さからなり手が減っているとのこと。それでも保育園の先生の平均月給は2800€(約40万円)、修士課程が必須の小中高の先生はさらに高額とのことなので、日本とはだいぶ前提が異なります。教育行政はすぐに政策効果が見えない分野。だからこそ長期的視点で投資をする政治家の意志と覚悟が求められます。

画像
35歳のリ・アンデルソン教育大臣も幼い娘を育てるお母さん。(左から筆者、中曽根康隆代議士、大臣、上杉謙太郎代議士、神田潤一代議士。)

18億年前の地層と100万年後の未来

同じく長期的な政治意志を感じたのは同国のエネルギー政策です。寒冷な気候による暖房需要などエネルギー多消費者社会でありながら、化石資源に恵まれないフィンランド。隣に大国ロシアを抱える地理的課題もあり、エネルギー安全保障の観点から早くから原子力発電を活用してきました。

特に注目されるのは、同国で運用開始を目前に控えている世界初の放射性物質の最終処分場「オンカロ」です。ヘルシンキから西へ車で3時間。防護服とヘルメットを被り、看板も何もない質素な入り口から坑道へ、車で深度450mまで延々地中を降りていきます。最深部では、奥行き350mの処分坑道群が無数に水平に広がります。開業後は、各処分坑道に7メートル置きに竪穴を掘り、合計6000トン近い使用済み核燃料を埋設する計画だそうです。

画像
長期間の安定性に適した18億年前の分厚い岩盤性の地層。

地下水がぴちゃりぴちゃりと滴り落ちる岩肌は18億年まえの地層。用地選定にあたっては、地下水の水質(酸性度合いなど)、廃棄物運搬の容易性、地元理解の得られやすさなどが主要なチェックポイントになったそうです。日本と違ってフィンランドでは地震リスクへの懸念はないのか施設責任者のMikaさんに問うと、フィンランドでも規模は小さいものの地震はあるとのこと。ただ「100万年先を見据えて島全体が水没するシナリオも含めてあらゆるリスクを検討している。」と自信を覗かせました。それでも万が一事故が起きた場合の住民補償などについて、政府・民間の責任分担は決まっているのかしつこく尋ねると、「そのようなことは起きない。あらゆるリスクを想定してデザインしているから。」との回答。福島原発事故の検証を通じて「絶対安全神話」の苦い教訓が記憶に新しい日本側メンバーは無言で顔を見合わせました。

使用済み核燃料の処理の問題は原子力発電に携わる全ての国が解決を模索し続けなければならない重大問題。難しい議論から逃げずに前例のない取り組みに挑戦してきた同国の政治家たちの覚悟が伝わってきます。

地下シェルターで仕事帰りに汗を流す人々

マリン首相が掲げるトラスト社会。同国の発展を支えてきた国民の強い連帯の裏側には、厳しい安全保障環境があるのも事実です。その象徴が市内各地に設置された地下シェルター。フィンランドでは一定以上の床面積の建物を建てる場合には防災法に基づきシェルター設置が義務付けられています。

画像
ホッケー場やフットサルコートの他に、温水プールを備えた公共シェルターも。

地下鉄の入り口のようなエレベーターから地下15メートルに降りていくと、グランドホッケーコートやフィットネスジムなどの広大な運動場がいくつも広がる不思議な空間が出現。多くの市民が仕事帰りに集まって楽しそうに汗を流していて、戦時の避難場所という重苦しい雰囲気はありません。しかし、一歩管理エリアに足を踏み入れると、そこが単なる遊技場ではないことを思い知らされます。6000人が立て篭もるための三段ベッド、電源を供給する巨大なディーゼルエンジン、衝撃波に耐えられるよう設計された配電盤、銀色に光る空気清浄装置群、放射能を洗い流すための水道設備。核戦争シナリオまでを常に意識してきたフィンランド国民の厳しい日常観が具体的な避難設備に形を変えて無言で存在感を放っています。平和は永遠ではない、という苦い歴史の教訓と覚悟が深く地中に刻み込まれているようです。

6000人が数ヶ月間地下で暮らすための想像を絶する準備と覚悟。

ロシアのウクライナへの侵攻を受けて、フィンランドは昨年、スウェーデンと共にNATOへの加盟を決断。22年だけで7億ユーロ、今後4年間で20億ユーロの財政負担増も決めました。「ウクライナへの侵攻は単にヨーロッパの問題ではない」と語るマリン首相。「世界が築いてきたルールへの挑戦。価値観への挑戦。ヨーロッパ以外でも同様の問題が起きる可能性が高まっています。」として、価値観を共有する民主主義国家である日本の連帯と協力に感謝と期待を寄せました。

高福祉・高負担を支える政治へのトラスト

フィンランドのような高福祉社会を支えるためには、当然重たい国民負担が必要となります。消費税が24%、所得税も最高で60%近くと、日本と比べても相当重たい負担をフィンランド国民は背負って暮らしています。こうした負担を国民にお願いする上で困難はないのか。現地に駐在している複数の日本人の方に尋ねてみると、同国では負担に見合う高い水準の公教育や保険医療が提供されている納得感があることに加え、汚職が少ないのだと言います。「国家や組織運営の透明性が高く、多くの国民がハッピータックスペイヤーとして納得して高い税金を払っていると感じる」とのこと。日本の政治家にとっては耳が痛いコメントです。

小さな政府を目指す国と比べ、高福祉国家ではより重たい付託を受ける政治家側の責任は重大です。だからなのか、目の前の課題だけでなく、教育、エネルギー、安全保障などすぐには成果が出ないテーマ、国民の意見が分かれるテーマにも、歴代政治家たちが正面から向き合ってきた足跡には、敬意に値する説得力があります。フィンランドの議場では、誰でも2分間までは手をあげて発言をすることが認められているとのこと。事前に発言者が決まっている日本の国会とは議場のダイナミズムも大きく異なりそうです。

増加する防衛費の負担や出生率低下への対策など、日本と共通する難しい政治課題も抱える同国。こうした課題にトラスト社会を掲げるフィンランドの政治家と国民がどう取り組んでいくのか。結論だけでなくその合意形成のプロセスにも、日本が参考とすべき多くのヒントが含まれていそうです。

画像
中曽根団長より日本人のアーティストが書いたフィンランドの絵本をプレゼント。

もうすぐ5歳の誕生日を迎えるお嬢さんへ誕生日プレゼントの絵本を贈呈すると、「早速今夜にでも読み聞かせさせてもらうわ」と最後まで等身大のマリン首相。「次は天気のいい夏に来てね。」と笑顔で我々を見送ってくれました。

一覧へ戻る