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奥能登の現場から。復旧・復興への希望と課題

2月4日、厚生労働大臣政務官として石川県の馳知事と一緒に、能登半島地震で被災した医療関係施設などを訪れました。震災の地で見た光景、感じた絆、そして直面している課題についてお伝えしたいと思います。

エッセンシャルワーカーの方々に蓄積する疲労と負担

疲労の中、献身的にご尽力頂いている輪島病院の皆さま

金沢市から車で北に3時間。二車線道路のあちらこちらで未だ片側が崩落していて、半島特有の交通網の課題を痛感しました。最初に訪れた輪島病院は、震災前は毎日450人近くが外来で訪れる地域の基幹病院。病院の現状や課題を説明してくれた看護部長さんにご自身の状況を尋ねると、地震で自宅は傾き、「ものを置けばコロコロ転がってしまう」状態とのこと。他にも30人ほどのスタッフが被災した自宅を逃れ病院の一角に寝泊まりしながら、被災者の支援を続けてきたそうです。

ただ震災から1ヶ月を経て医療スタッフの心身の疲労もピークが近づいており、プロフェッショナルとしての強い使命感と今後への不安が混じっているように感じました。子供を抱える若いスタッフなども多いそうで、こうしたエッセンシャルワーカーの方々が地域を離れることなく被災者支援と生活再建を両立できるよう、住宅環境の整備など政策的にも優先的な配慮が必要だと感じました。

一方、穴水総合病院では、物理的な破損が顕著でした。ようやく病院手前までは配水が復旧したものの、敷地内の配管の損傷により貯水槽まで水が届かず、引き続き自衛隊の応急給水に頼らざるを得ない状況が続いています。こちらでも20人近い医療関係者が院内または近隣の避難所での生活を余儀なくされているそうで、被災者が同時に支援も担わなければならない輪島病院と同様の課題を感じました。

同席してくださった穴水町の吉村町長のご自宅も正月のままの状態とのこと。

「落ち着いているように見えるかもしれないが、異常な状態に慣れているだけ」

という一言が深く胸に刺さりました。こんな困難な状況の中でも、不屈の精神で日々の業務に臨んでいる多くの関係者のプロフェッショナリズムに敬意と感謝を新たにしました。

水道復旧のための工事が市内各地で。所管する厚労省としても最優先で取り組んでいます。

被災地を支える専門支援チームの絆と使命感

輪島市の保健医療福祉調整本部への訪問は、被災現場を支える多くの専門ボランティアの存在の大きさに気づかせてくれました。本部の大会議室には、全国から集まった医師、薬剤師、保健師、看護師、リハ職、臨床検査技師など多くの専門職の支援チームが集結。出身県ごとに色鮮やかなゼッケンを身にまとい、機能別のグループに別れて被災者の様々な医療・健康ニーズに慌ただしく対応されています。中には本部の冷たい廊下に寝袋を敷いて活動している歴戦の強者も。

阪神淡路大震災の反省をもとに創設されたDMAT(災害派遣医療チーム)をはじめ、JMAT(日本医師会医療チーム)、DHEAT(災害時健康危機管理支援チーム)、DPAT(災害派遣精神医療チーム)、JRAT(日本災害リハビリテーション支援協会)など、現在は自然災害への対応に備えて多くの専門ボランティアチームが組成されています。全体のリーダーを務める福島県医師会の藁谷医師は、

「東日本大震災で学んだことを、今、ここで生かしたい」

と語ってくださいました。その言葉には、過去の経験を未来の希望に変えようとする強い意志を感じました。ベテランの専門家たちの間では、過去に別の災害で一緒に活動した経験を通じ、深い信頼関係とネットワークが形成されています。自分の住んでいる地域でなくても、災害が起きた地域に駆けつけ対応してくださるプロの皆さん。こうした方々の尊い志と行動力の蓄積が、国全体の災害対応人材の厚みにつながっています。こうした人材育成の取り組みを一層サポートしていくことこそ、防災・減災に向けた何よりの備えとなります。

全国から参集してくださっている災害医療のプロの皆さま。頭が下がる思いです。

避難の長期化と二次避難所の確保に向けた難しい課題

被害の大きかった地域では重たい瓦が今も路面に散乱。復旧への道のりの長さを覚悟させられます。

夕方、金沢市に戻って1.5次避難所に指定されている石川総合スポーツセンターを視察。現在、大きなメインアリーナには約80人の方が、また、別の介護用のエリアには要介護の避難者約90名が避難生活を送られています。奥能登は元々高齢化率の高い地域だったこともあり、入所されている方にも医療や介護のサービスを必要とされている方が多い印象を受けました。多くのサポートスタッフが常駐し、避難者の健康管理や二次避難所への斡旋などに従事して頂いています。

スタッフの方々によれば、入所者の数自体は少しずつ減少傾向にあるものの、最近は入所者の長期化が課題になっているそうです。石川県においても仮設住宅の建設を急いでいますがまだまだ供給には時間がかかります。県内の二次避難用のホテル・旅館や介護施設が埋まりつつある中で、今後は県外施設も含めた選択肢も視野に入れたマッチングがより必要になってきます。しかし避難者の方々にとっては、住み慣れた石川を離れるのは決して容易な判断ではありません。

とはいえ避難生活の長期化は健康面でも負担が重いため、一人ひとりの希望や健康状態を丁寧に見極めながら、より安定的な生活の場への移転を速やかに進めていくことが必要となります。震災対応が急性期から復旧・復興フェーズに移っていく中で、これまでの行政主導のプッシュ型の支援から被災者主導のプル型へ。より細かく被災者のニーズを丁寧に汲み取った対応が必要となってくることを改めて現場で感じました。

一日も早い復旧・復興に向けて

左から私、馳浩・石川県知事、浅沼一成・医政局長(厚労省)、佐々木紀・衆議院議員。
馳知事は震災から1ヶ月間この知事室に寝泊まりして陣頭指揮を取られていたそうです。

自らの生活再建を抱えながら、より困っている被災者の支援に奔走するエッセンシャルワーカーの皆さん。忙しいスケジュールをやりくりして、全国から防災服で集まってくださる専門職の方々。被災地で特に印象的だったのは、困難や悲しみに打ちひしがれることなく、そこに意志を持って集う多くのプロフェッショナルたちの使命感と行動力でした。

市町村でやりきれないことを、支える県の存在。県だけでは調整しきれないことをバックアップする国の役割。今回の視察を通じて、支援する側もそれぞれの立場と責任を認識し、被災者の声に耳を傾け、力を合わせて取り組んでいくチームワークとコミュニケーションの重要性を再確認しました。現場で伺った様々な具体的な要望や提言についても、厚労省内は当然のことながら、関係省庁とも連携し、対応してまいります。今回の経験を活かし、被災地の皆様が一日も早く平穏な日常を取り戻せるよう、引き続き全力を尽くして参ります。

現地対策本部長の古賀篤・内閣府副大臣と入念な打ち合わせ。
今回の視察のアレンジでも大変お世話になりました。
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